7.携え上げられる

ローマ風の港町

王国の啓示と共に、主はまたニー兄弟に携え上げの啓示を与えられました。今日の根本的神学は、クリスチャンは救われさえすれば、みな普遍的な携え上げにあずかり、主の再来の時、全召会と共に、大患難の前に携え上げられる、と告げています。しかしニー兄弟は、すべてのクリスチャンが同時に携え上げられるわけではないことを見ました。ある信者たちは、大患難の前に成熟した勝利者となります。ですから、彼らは先に携え上げられるでしょう。しかしながら、大多数の信者は後で成熟するので、遅れて携え上げられるでしょう。王国は褒賞の事柄であり、携え上げは成熟の事柄です。携え上げられることは収穫物に例えられます。農作物がまだ青いうちは、刈り取られて納屋に入れられることはありません。それは熟してはじめて、刈り取られます。すべてのクリスチャンも、命において成熟しなければなりません。彼らが成熟する時、主は彼らを刈り取り、彼らを天の納屋にもたらされるでしょう。次の二つの点を、しっかり心に留めなければなりません:1) 王国は勝利の信者たちに対する褒賞である、2) 携え上げには勝利者の成熟が要求される。