27.信仰による聖別
一九二五年より少し前に、ニー兄弟は、信仰による聖別を見るようになりました。彼はジョン・ウエスレーの聖別に関する教えから光を受けましたが、ウエスレーの教えは真の聖別でなく、罪なき完全である、と言いました。彼は学びを通して、ブラザレンが聖別の幻で、ウエスレーよりも一歩前進していることを認識するに至りました。ブラザレンの聖別の教えは正確であるとはいえ、あまりにも客観的で、地位上の変化にすぎないものでした。ブラザレンは、この世の金は俗であるが、宮に置かれた金は聖別されている、と教えました。もう一つの例証として、ブラザレンは、羊、牛が群れの中にあるのは俗であるが、祭壇の上にささげられると聖別される、と教えました(マタイ二三・十七、十九)。ブラザレンはさらに例証を挙げて、市場の食物は俗なるものであるが、クリスチャンの食卓に置かれると、祈りによって聖別される、と説明しました。ニー兄弟は、これらの例証はみな外側の地位上の変化のことで、どれも内側の性質上の変化を指すものはない、と指摘しました。彼は、聖別は単に地位上の変化ではなく、それはまた性質上の変化でなければならない、と教えました(ローマ六・十九、二二)。